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The Arbinger Institute『自分の小さな「箱」から脱出する方法』


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The Arbinger Instituteの『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を読んだ。

The Arbinger Instituteは、アメリカにある研究所で、組織内の人間関係の諸問題の解決について研究やコンサルをやっているらしい。

 

本書はインターネット上でオススメとして挙げられているのを見たので、読んでおこうと思ったのだった。

 

本書では人間関係の諸問題の原因となっている「箱」の存在を明らかにし、なぜ「箱」の存在が問題なのか、どうやって「箱」入ってしまうのか、そしてどうやって「箱」から出られるのかが解説されている。ある会社に最近入社した管理職の主人公に対し、「箱」について主人公の上司が丁寧に教えていくという体裁になっており、講義を受けているかのようにスラスラ読み進めることができる。抽象的になりがちな「箱」に関する説明も、具体的なケースを元に語られるためにイメージがしやすいと思うが、結局なんだかよく分からない部分もあったので、たまに戻って読み返したりした。よくあるようなハウツー本みたいに、一回読んですぐに理解できるほどではなかったような気がする(単に自分の理解力がなかっただけだと思うけど)。

 

本書のメインとしているメッセージとしては、「周囲の人々や環境は、自らの見方、在り方によって変わってくる」ということではないかと思う。

 

人が箱に入ってしまうのは、他者のために自分がすべきと思っていることに背いてやらなかったりした時(自分を裏切った時)だ。箱に入ると、すべきことをしなかった自分を正当化するために他者や環境を批判したり、自分のことを過大に評価して、それをまともに評価しようとしない周囲を責めたりしてしまう。そして、周りの人々などを、自分と同じニーズや希望を持った"人間"としてではなく、"物"として見るようになる。そうした見方を持って人と接しても、人々は相手が自分のことをどう見ているのか敏感に察知するため、物として見ているというのが伝わってしまい、様々な行動も意味をなさない。さらには、箱に入っているときには、自分が問題を抱えているという事実にすら気が付かない。そして、自分への裏切りが重なって来ると、そこから生まれる自己正当化のイメージを自分の性格として捉えてしまうようになり、つまりは常に箱を持ち歩いている状態になる。そうなると、自分への裏切りをトリガーとしてなくても、相手に対して箱に入った状態となる。箱に入ってしまうと、自分が周囲を責めることによって周囲の人も自己のイメージを守ろうとして箱に入ってしまうことになる。箱に入っている間は自分を正当化するために相手が問題であるという状態を求めるようになる。そして箱に入ったもの同士が互いを批判しあい、互いに相手が問題を起こすように仕掛けるような状態になる(共謀)。箱に入った人は自分のことをばかり考えるようになって本来の目的(仕事上のゴールなど)に集中できなくなり、他者を批判し合う状態になり、組織内で対立グループが出来上がったりする。

 

このような状態を解消する、つまり箱から出るためには、周囲の人間も自分と同じようなニーズや希望、心配事を持った同じ"人間"であると見始めることが必要であり、そしてそう見始めた後に感じる「相手に何かしなくては」という感覚を大事にすることで、箱の外に居続けるようになれる。自分が箱の外に出ても相手が箱の中にいる場合もあるが、それを責めたりせずに、何かをできることはないかと考える。自分が箱の外に出られたのなら相手をひどい奴にしておく必要もないし、相手を責めることでひどい奴としての認識を強化していくこともない。

 

上記のようなことが本書で解説されている内容だと理解している(おおよそは合っていると思う)。自分のするべきことと向き合って実行し、周りの人々も自分と同じように感情や希望や不安を持った人間だと意識する。すると、人々に何かしなくてはという意識が生まれるので、それを大事にしていく。人のために何かできることはないか、という意識を常に持つよう心がけることが、箱の外に出て人々やその他のことをまっすぐに見れるようになることの鍵のような気がする。この辺は『夢をかなえるゾウ』にも出てきた、人の欲を満たす=自分の喜びとするということや、人が何をしてもらいたがっているかを常に意識することに繋がるような気がした。

 

周りにひどい奴がいたり、理不尽な環境だとしても、まず相手や環境を責めるのでなく、自分が箱の中にいるか外にいるかを一度考えてみることが大きな意味を持つ、ということを知ることができたのように思う。

 

 

自分が問題を抱えているということが、わたしには見えていなかった。これが大きな問題であり、この全く何も見えていない状態は、「自己欺瞞」や、「箱に入っている」と呼ばれる。

 

こちらが外見上何をしているかではなく、心の中で相手をどう思っているかが問題。なぜなら相手はそれに反応するから。こちらが相手に抱く感情は何によって決まるのかというと、こちらが相手に対して箱の中にいるか外にいるかで決まる。

 

人が他の人々にどのような影響を及ぼすかは、行動よりも深いところにあるものによって決まる。箱の中にいるか外にいるかが問題。

 

箱の中にいると現実を見る目が歪んでしまう。自分自身のことも他の人々のこともはっきりと見ることができなくなる(自己欺瞞に陥る)。そこから、人間関係のあらゆるごたごたが起こってくる。

 

私達はみんな、ときには箱の中に入ってしまうし、いつだってある程度は箱の中に足を突っ込んでいる。常に完璧に箱から出ていなければならない、というわけではない。

 

人間というのは、常に他の人々に対して箱の中にいるか外にいるかどちらかである。箱の中に入っていようと外にいようと外から見た行動は変わらないが、他の人々に及ぼす影響は大いに違ってくる。

 

私たちは人間である以上、他の人たちが何を必要としているか、どうすればそれを手助けできるかを感じ取ることができる。それを感じていながらその通りにしないと、他の人のためにこうすべきだという自分の感情に背くことになる(自分への裏切り)。自分の感情に背いた途端、物事を見る目が変わってくる。他の人、自分、その状況全体、すべてを見る目が自分の行動を正当化するような形に歪められてしまう。つまり、自分の感覚に逆らったときに箱の中に入る。

 

自分への裏切りして自己正当化を何度も行うと、自己正当化のイメージのいくつかが、自分の性格になってしまう。そのイメージを箱として持ち歩くようになる。

 

ある場面で自分が箱に入っているような気がする一方で、自分の感情には背いていないと感じている場合、既に箱の中に入ってしまっている可能性がある。だから、自分が自己正当化イメージを持ち歩いているんじゃないかと疑ってみるのも決して無駄じゃない。

 

箱の中にいると自分が本当に求めているものが見えなくなる。箱の中にいた私が何より求めていたのは、自分が正当化されることだった。相手を責めている自分を正当化するには、相手が責めるに足る人間でなくてはならない。つまり、こちらかが箱の中にいると、相手が問題を起こす必要が出てくる。問題が必要になる。

 

互いに相手に対して箱に入っている複数の人間がいて、お互いの感情に背き合っている状況を「共謀」と呼ぶ。互いに相手がひどいことをしていると非難しあっている状態。

 

箱の中にいると、誰かにひどい仕打ちをされたとぼやいてみたり、おかけでとんでもない迷惑を被ったと嘆きながら、一方でその仕打ちを妙に心地よく感じている。

 

箱の中にいると自分に目を向けるだけで手一杯になってしまって、結果に気持ちを集中させられなくなる。

 

自分の外側のものを責めるのは、自分自身の欠点を直し損なっているという事実を正当化できるから。

 

組織の中では一人の人間が箱の中に入ってしまって成果を上げることに気持ちを集中できなくなると、その同僚たちも成果を上げることに集中できなくなっていく。共謀関係がどんどん広がっていって、結局は同僚同士が対立し、作業グループが対立し、部署の間に対立が生まれる。

 

自分の感情に背くこと、それこそが自己欺瞞という病を引き起こす細菌だ。自己欺瞞はいろいろな症状となって現れる。モチベーションや積極性の欠如、そしてストレスからコミュニケーションの問題に至るまで、このような病に冒された組織は、あるいは死に、あるいは著しく力を損なわれる。というのも、それとは気づかずにみんなが病原菌を運んでいるから。

 

箱の中にいるときにしても無駄なこと

  • 箱の中に入ったまま相手を変えようとしても、自分の望む方向とは正反対に動かすことになる。
  • 場合によっては今の状況から離れることも正しいかもしれない。しかし、それだけでは十分ではない。なぜなら、最終的には箱からも離れなくてはならないから。
  • 箱の中にいると、コミュニケーションが上手であろうとなかろうと、こちらに箱があることが相手に伝わってしまう、そこが問題となる。
  • たいがいの人が人間関係の問題をさまざまなテクニックを使って修復しようとするが、テクニックがいくら有益なものでも箱の中で使っている限り役には立たない。
  • 自分のことを考え続けている限り、箱の外には出られない。箱の中に入っているときは、たとえ自分の行動を変えようとしたところで、結局考えているのは自分のことでしかない。だから、行動を変えても駄目なのだ。

 

人は箱の中にいながら同時に箱の外にもいられる。誰それに対しては箱の中にいて、誰それに対しては箱の外にいるといったように。

 

箱の中にいる人間がいくら箱から出ようとあがいてもどうにもならないわけだが、その一方で、箱の外に出た形の人間関係が一つでもあれば箱の中にいる時間を減らしたり、箱の中に入ったまま関係を修正したり、いろいろなことができる。

 

相手を、自分と同様に尊重されるべきニーズや希望や心配事を持った一人の人間として見はじめた瞬間に、箱の外に出る。

 

箱の外に留まり続けるうえで肝心なのは、箱の外に出ているときに、自分が他の人に対してなすべきだと感じる、その感覚を尊重することだ。

 

しかし、だからといって必ずしも感じたことをすべて実行すべきだ、というわけではない。他の人に思うように手を貸せない場合もある。それでも、精一杯のことはできるわけで、その場合は、箱の外にいるからこそ、他の人たちを人間として見ているからこそ、そして自分がしたいからこそ、手を貸すわけだ。

 

いったん箱に入ってしまうと、相手をひどい奴だと責めている自分を正当化するためにも、実際には相手がひどい奴であってくれなくては困ることになる。箱の中にいる限り問題が必要だから。

 

そしてこちらが箱の中に留まり続ける限り、相手はひどい奴であり続ける。こちらが責めれば責めるほど、相手は責められるようなことをする。

 

相手が箱に入っていることを責めたりせずに、しかも相手の箱の存在に気づけたら、そのほうがずっといい。

 

こっちが箱から出てしまえば相手がひどい奴である必要はなくなり、相手をひどい奴にする必要もなくなる。だから、つらい状況を悪化させるのではなく、よい方向に持っていくことができるようになる。

 

これまでのことを知ったからといって、箱の外に出られるわけじゃない。知るだけじゃなく、それに即して生きなくてはならない。この知識を活かして、ひどい奴と思う人物をも含めた自分の周囲の人々に、さらに力を貸すにはどうすればいいか学んで初めて、それに即して生きていることになる。

 

知ったことに即して生きること

  • 完璧であろう思うな。より良くなろうと思え。
  • すでにそのことを知っている人以外には箱などの言葉を使うな。自分自身の生活に、この原則を活かせ。
  • 他の人々の箱を見つけようとするのでなく、自分の箱を探せ。
  • 箱の中に入っているといって他人を責めるな。自分自身が箱の外に留まるようにしろ。
  • 自分が箱の中にいることがわかっても、諦めるな。努力を続けろ。
  • 自分が箱の中にいた場合、その事実を否定するな。謝った上で、更に前に進め。これから先、もっと人の役に立つよう努力しろ。
  • 他の人が間違ったことをしているという点に注目するのではなく、どのような正しいことをすればその人に手を貸せるかを、よく考えろ。
  • 他の人々が手を貸してくれるかどうかを気に病むのはやめろ。自分が他の人に力を貸せているかどうかに気をつけろ。

 

こちらが箱から出て仲間に加わらない限り、ともに働いたり、暮らしている人間のひととなりを知ることはできない。

 

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
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